写真コンテストに応募しようとするとタイトルのような質問に答えさせられることがあります。
これが結構難しい質問です。
僕が写真を撮る時、「こういうことを表現したい」とは思っていますが「これを伝えたい」という思いはあまりないです。
「いや、その表現したいことが伝えたいことなんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、「表現する」と「伝える」は意味は似ているようで違います。
例えば「青空の美しさを表現したい」と思って空の写真を撮ったとします。
この場合、写真を撮った時点で「青空の美しさを表現したい」と目的は達成されています。
仮に「青空の美しさを表現したい」と言いながら曇天の空を撮影したとしても、撮影者が「あえて曇り空を撮ることで空の青さを対比的に表現したんだよ」と言えば「青空の美しさを表現したい」という思いは達成されたことになり、それを否定することはできません。
一方で「青空の美しさを伝えたい」となった場合、受け手が「この空は美しい!」と感じることで初めてその目的が達成されます。
「曇り空を撮って対比的に青空の美しさを伝えたいんだ!」と思っても、その思いが受け手に届くことはまず無いと思います。
このように書くと「表現する」というのは比較的簡単で、「伝える」というのは工夫が必要で難しいことのように思えてきますね。
では「表現する」ことよりも「伝える」ことの方が創作物においてより重要な要素なのでしょうか?
否、そんなことは無いはずです。
「伝えたい」というのは言い換えれば「こう受け取ってほしい」という意味になると思います。
しかし、それは創作者の傲慢では無いでしょうか?
写真に限らずあらゆる創作物において受け手がどう受け取るかは自由です。
「伝えたい」という思いはそんな自由を制限してしまっているように僕には感じてしまいます。
受け手の自由な解釈があるからこそ、作品の世界は広がっていくのだと思います。
ゆえに僕は何かを伝えることに重きを置かずに写真を撮り続けています。
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